初釜の亭主を務めて

この日のために、お稽古がんばりました。

NaFu!(国際交流ならふれあいの会)では、会員の誰かが毎年、経験しています。

日本文化を体験することも大切な国際交流活動と言えるでしょう。

NaFu!では、1月の初釜や夏のサマーキャンプの時に、会員の中から茶道未経験の若者にお点前をしてもらっています。先生のところで2〜3回のお稽古と家での稽古を重ねて、本番に臨むことは非常に貴重な日本文化の体験になっています。

今年は、事務局を預かっています私たち夫婦がすることになりました。

2009.1.11 初釜
実に素晴らしい出来事だった。そう、体験でもなく、経験でもなく、出来事だった。
このあとに影響する出来事。

一人だけの事柄ならば、体験や経験という言葉で済ませられるが、”茶道”は、点てる人だけのことではなく、その場に集った、時間と空間を共有した人たちとの一期一会の瞬間の連続だから、出来事、と言うべきだろう。

それはどんな出来事だろうか。

”茶道”を最初に始めた人も、そう千利休も、その後に、引き継いだ人たちも、こんな出来事を想定していたに相違ない。普段、感激することは、そんなに多くない。しかし、この”茶道”の持つ圧倒的な歴史の厚みは、受け止めるしかない。

そして、誰でもが、同じようには受け止められないのではないかとも思う。自分は、半分くらいは受け止められただろうか。
出来事はこの一言に集約されていた。”和敬清寂”(「お互い仲良く(和)敬いあって(敬)、見た目だけでなく心も清らかに(清)何事にも動じない心(寂)を持ちなさい」の意味)

あの日あの時の顔ぶれやお茶の味、交わした言葉や釜からの湯気の様子。すべてが唯一のこと・もの・時、すべてを指している。言葉に置き換えられないくらい実に奥が深い。とにかく感激した。

その後、自分の所作や物の扱いが、少していねいになったように思う。(ひ)